2014年07月04日

変な感じ。

10年、11年か、共に働いてくれた相方、相棒、ケンケン事、野崎健太郎が退職。
何とも長い年月を一緒に過ごして来た。
ボタオープン2年目からつい先日まで、ほぼ毎日顔を合わせて、40歳を前にするまで同じ時間を共有し
店の為に頑張ってくれた、本当に感謝しか無い。
ボタの社交的な部分をほとんど担ってくれて、音楽イベントの出店は任せっきりだったし、
沢山の出会いを作ってくれ、僕よりもボタの顔として店に立ってくれた。
じじいになっても働き続ける事が出来る環境を作るのが理想なのだけども
僕の稚拙な経営の術では叶わず、やはし生涯働いて行ける場所を作るってのは難しいなと。
仕事を作るっていうのを、常、考えているのだけども、なんとも十分な稼ぎを捻出するまでには至らない。
その結果、人の人生を中途半端に預かってしまい自己嫌悪に陥ったりもする。
貴重な人様の人生を多かれ少なかれ預かるのだから、もちょっと形にして納得出来る環境を作れたならばなーと。

ボタ、アララギを経営してるのは自分なのだけれども、どっちの店も僕の店では無いと言う気持ちでやってきた。
今っぽく言うとシェアするという感じ。
関わってるスタッフ皆の物であり、1人で出来る仕事では無いと。
人ありきの店で、この人が居るからこの場所で店をやって、こんなメニューになって、こう言うイベントに出店してと
流動的と言うか僕の意思だけでは決して起こりえない仕事の幅だったり、質だったり。
人が辞めると店が変わる、絶対あってはならない事なのだろうけども、その人が大きく関わって一緒に作って来たのであれば
店も変わって当然だし、変わらないくらいシステマチックな店なら何も面白く無い。
そしてアララギもボタも柱となる人物が辞めた訳だけども、絶対に変わるしそれはポジティブな事として前に
進めるのが残った僕たちの最低限の責任かなーと。

宮崎に帰っていた21、22歳?位の頃に、寿司屋で働いていたのだが、そこの大将に言われた事を今でも
深く心に留めているのだが、その大将曰く
『皿洗いのバイトでも、その人が居ないと店が回らないのだから、料理が出来なくとも重要なスタッフだ』
と。
ホールのバイトでも皿洗いでも、自分1人では出来ない部分をやって貰ってるのだから、感謝すると言う事。
これは忘れない様に心がけている。たまに忘れるけど。
偉そうにふんぞり返ってても、働いてくれる誰かが居てないと店は回らないからね。感謝感謝。

今までのフットワークの軽いボタでは無くなるだろうし、社交的な部分も減るし、どーなるのだかと不安もあるのだけども
相方が環境を変えて自分の人生に新たに挑戦するのと同じ気持ちで1から出直しやり直し。
僕も再スタート頑張らななー。
今年は色々考えさせられる年だなー。

長い間ご苦労さんでした。よくもまあこんな経営者に長々と付き合ってくれたもんだ。有り難う。

最後の日、沢山の人が別れを惜しみに来てくれた。
写真はneco眠る森君のを拝借↓

10292536_751830141536291_186778854993394711_n.jpg



おまけ。
2002年の日韓W杯の時に、トロフィーを見に行った懐かしの写真。
たしか2人でパルコに行ったんじゃなかったけな。

IMG_0058.JPG


posted by マスター at 03:44| 日記